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2011_05
20
(Fri)09:33

金網越しの楽園

少年時代の楽しみの一つに地元の豊橋機関区の訪問がありました。。
特別な公開日でもない限り一般人は入る事が出来ない現在ですが昭和50年頃は
いつ行っても事務所に行って名前を書いて腕章を借りれば自由に見れました。
(さすがに小学生だけでは無理ですが中学生なら子供だけでもOK)

事務所のオジサンに「気を付けてな」と言われる位で見学者のルールの表示や
説明など一切無い代わりに全てが自己責任という暗黙の了解があったのです。
もちろん構内は通常の稼働状態ですので、あちこちで作業してるし電車や
機関車の出入りだって時間帯によっては頻繁にあり決して安全な場所では
ありませんが自己の安全確保と仕事の邪魔さえしなければ行動は自由でした。

留置中の車両であればデッキや運転席だって自由に乗り込んで撮影したりして
鉄道マン気分を満喫できるのですが、この時にもちろん機器類は触らないように
ちゃんと注意してました。 現場の人にそう言われたわけでもありません。

当時の子供たちは私を含めて「自由に見せてくれるのだから迷惑はかけないように」
とちゃんと意識していたように思われます。実際に盗難や悪戯や事故の話は一度も
聞いたことがありませんし注意すら受けた記憶がありません。
またしょっちゅうではさすがに迷惑なので年に2度までと決めていました。

ルールとは言われて守ることでなく自ら課す事。

当時の国鉄マンのオジサン達は言葉ではなく背中でそれを教えてくれた気がします。
人を縛ることが目的な世知辛いルールが蔓延する前のおおらかでいい時代でした。
そんな背景があって後生まで鉄道好きを続ける少年が育ったのです。


もちろん当時の機関区全てが自由に出入りできたわけではありません。
今は無きお隣の浜松機関区は当時から決まった公開日も無ければ通常も入れません。
すぐ脇に列車密度の多い東海道本線や貨物引き込み線があり横断が危険なことや
機関区の仕業自体もローカル線の豊橋機関区と比べ物にならないほど頻繁にあり
とてもじゃないが見学者(それも子供)をウロウロさせるわけにいかないのでしょう。

中には入れないとわかっていてもお小遣いをやりくりして豊橋発の電車に乗り
浜松の1つ前の駅で降りて2kmほど歩いて浜松機関区を見に行きました。
周囲を囲む金網にへばりついて飽きもせず留まっている機関車を眺めたものです。
当時の東海道本線の主要機関区だった浜松区にはいつも何種類もの機関車が
常駐しており間近では見れなくてもその迫力に圧倒されました。

浜松区の機関車

模型で再現するとこんな感じかな? ^^

浜松区の所属機はEF18・EF58・EF60・EF65位でしたが仕業の関係で各地の
機関車が集まっていることが多く吹田のEF66、稲沢のEH10、広島のEF61
なんかも良く見られたように記憶しています。

そんな名機関区も昭和59年のEF58の廃車と郵便・荷物列車の廃止を機に機関区の
役割を終えてしまい、現在でも運輸区して残るものの普通電車の折り返しや夜間停泊に
電留線として使われるのみで機関車の配置は無く往年の面影は全く残っていません。

あれから30年が経った今でも時々この近くを通ることがあります。
道路沿いの金網は今もありますが、へばりついている少年はもういません。
線路は今もたくさんありますが当時の一切の建物は消えて、あの憧れだった光景は
カメラも持っていなかった当時の少年の

記憶として頭の中に残るのみになりました。


未練という想いが模型になって現在に至ります。







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C.O.M.M.E.N.T

心が和む良い記事です。自分の模型の原点もそんなところにあると思います。写真から汽笛やブロワーの音が聞こえてきそうです。

2011/05/21 (Sat) 10:01 | 相原言 #- | URL | 編集 | 返信

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