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2010_09
11
(Sat)12:44

君を想う

携帯

3年前の2007年8月初旬のこと。
その日、私は携帯電話のワンセグ機能を使って高校野球を見ていた。
場所は地元の市民病院の病室・・・入院して一ヶ月以上過ぎていた。

すい臓炎を患って入院したのは7月3日だった。
通常なら10日ほどで完治退院できる病気だが私の場合、ERCP(内視鏡的逆行性膵管造影)
での治療中に造影剤が刺激になったのか治り掛けたところで再発してしまった。

病状は深刻だった。
炎症が酷く、白血球は通常の3倍にもなるし血中酸素濃度は80近くまで下がって
息苦しく鼻から酸素吸入をしなければならず意識障害も出て初めて幻覚・幻聴を体験。
青白く生気の無い顔を見舞いに来た友人はもうダメかと思ったそうだ。

7月下旬になってようやく持ち直して来たがこの時既に絶食20日目。
当然体に力も入らず病床で携帯電話のテレビを見るのが唯一の楽しみだった。
8月に入ってある日の事、いつものようにとある人からメールが入った。

「一足先に退院します。お大事に」

メールの送り主は名鉄のペーパーモデラーでお馴染みの鬼頭哲哉氏。
2000年頃から掲示板をきっかけにお付き合いが始まった鉄道模型仲間である。
彼も2年に及ぶ闘病生活を続けており検査入院の為、私と同じ時期に
場所は名古屋と豊橋と別れているけど同じ病床どおしよくメールを交わしていた。
先のメールを頂いた時、私もあと1週間程で退院できる目処が付き彼への返信に

「後から追いますから先にシャバを楽しんで下さい」

といつもの調子で彼に返した。
もちろんこの時は私を含め皆が知らなかったのだ。
彼の退院が今回だけで残された時間を家族と過ごす為だったという事を。
そして・・・・


平成19年9月9日午前5時28分に彼は逝った。


その訃報を受けたのが画像の携帯電話。
入院中にお互いにメールを交わした時に使っていた物と同じである。
つらい出来事だったので中のメールも残していないし既に電話自体も代替わりして
現在は使っていないのだが、どうしても捨てられず今も手元にある。



昨日が命日で、あれから3年の月日が経った。
彼が遺した自己の集大成でもあるホームページは二度と更新する事は
ないけれど今もWEB上に残している。

スカーレットのアルバム http://scarlet7000.net/index.html

ここの掲示板がきっかけとなりその後も多くの鉄模仲間に恵まれ現在の
花月園幹事の礎になったのは間違いないのである。
初めて実際に会ったときの彼の少しぎごちない笑顔を今も思い出す。
ありがとうを伝える前に逝ってしまった君に ”ありがとう”


合掌






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C.O.M.M.E.N.T

この方の出版された本を、りゅさんと早くからリンクをしている、じゃりちゃんから見せてもらったことがあります。

この方の生前での思い出話を、結婚したばかりの頃、主人から聞かされました。

Mさんが、ヤフーブログを開始してすぐ、この方から伝授された、煙草フィルムによるクーラーの工作を丁寧に紹介されているのに目がとまりました。とてもあったかい思いまでが伝わる工作でした。思いが伝わるようです。

あるとき、Mさんの親友の、もう一人のMさんを、踊り子号の近辺に迎えに行っての晩ご飯を、Mのつく酒処に向かう途中、その、もう一人のMさんが、この方の悲報を突然聞いたあの日あのときを話されて、りゅさんと6人で、この方の思い出話をしながらのお酒を飲んだことがあります。

私は、お会いできなかったけれど、私のまわりにおられる大切な方々は、この方との思い出をしっかりと刻まれている様を、その時間を共に空気を吸っていて、鉄道という趣味を通じて、こんなにも人を愛する時間を共有しあう男達に強く感じたものは、

同じ一生、人生に趣きと夢を共有しあう仲間をもつ「趣味」っていうのは、仕事の合間にもつ気分転換でない「味わい」と仕事とは又違う戦友であるような別次元の独特な人間関係であり、「愛してる」んやなあと・・・人をこんなに愛せるってええなあと、やっぱり趣味は大事やなあと強く思う嫁の独り言・・・

  天国でも「型抜き」してはるんやろか

みんなに、思い出をありがとう。

2010/09/13 (Mon) 23:21 | ちぃ #pZffAq0k | URL | 編集 | 返信

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