FC2ブログ
2015_08
31
(Mon)05:29

北への男旅 8日目

ばっかす内部
※画像は前日の到着時のものです。

男旅8日目になりました。
この旅初めての休養日なので本日のバイク走行なし。
毎日バイクで移動し続けることは想像以上に疲労が
溜まるみたいでここ2~3日朝起きるごとに実感してました。

帰る船が決まってますので昔のように好きなだけ休養って
わけには行きませんが、できるだけ道内での日程に余裕を
持って計画しこんなこともあるだろうと思ってたので
まだ想定内の計画変更であります。

そして疲労もそうですが出発時に痛めた腰が悪化し始め
たのと昨日テントが壊れたので今後どうするか考える
時間が欲しかったという理由もあってです。



海鮮丼1

そうは行っても1日中宿の中でゴロゴロしてるのも
なんなので稚内市内まで散髪に行くというご主人の
クルマに同乗して市内散策と昼食に出かけました。

駅前でクルマから下してもらってまずは昼食です。
腰が痛くてあまり遠距離は歩きたくないので駅近くの
海鮮市場で海鮮どんぶり1680円也。

これがなんと旨くない・・・

ここのところの悪天候で漁に出てないからなのか
期待したほどの鮮度もないし味もなんかもっさりしてる。
このレベルなら地元で食べても変わらない。



稚内駅

昼食後、稚内駅周辺をぶらぶらしてると何かがおかしい。
上の画像を見て何かお気づきになることはありませんか?
そうです8月の観光シーズンのお昼時だというのに・・・・

人がほとんど居ない!

私の知ってる25年前の稚内駅前は旅人で溢れていました。
駅前には常に10台以上のバイクが停まり、構内は大きな
バッグを持った旅行者でごった返していました。

それが今回は周辺どこを見てもガラガラ・・・そういえば
先ほどの昼食時も店内にいた客は3~4人くらい。
中国人だらけのツアーバスはそこそこ駐車場にいましたが
いわゆるそれ以外の旅行客がほとんどいないのです。

駅周辺は再開発され当時と比べて立派な駅舎や
大きなホテルが建ち、道も広げられて綺麗になりましたが
その広さが余計に人の少なさを強調しているようです。

迎えに来た宿のご主人のクルマに乗り、そんな感想を
話すと稚内も人口の減少が激しく、国内旅行客の激減と
あって昔日の賑わいは望めないとの事を嘆いてました。

そんな先行きが見えているにも関わらず大規模な再開発を
したおかげで行政は大赤字に転落していてこのままでは
第2の夕張になりかねないらしい。

事実、港にあった10数回建ての大きなホテルは営業は
しているものの既に当初の経営会社は撤退し現在は
別会社になっていますが集客は芳しくないそうです。

確かに本州からこの北の果てに来る時間と費用を考えたら
近場の海外に行く方が遥にいいと考える人が多いでしょう。
LCCが発達した近年はなおさらそうなんでしょうね。

あと鉄ちゃんとして一言書かせてもらいますが
立派な近代ビルになった稚内駅は少々やり過ぎ感が。
大体ホーム1面線路1本しかない駅にこんな立派な建物は
全く似合いませんね。

昔の最果感たっぷりの情緒ある駅舎の方が数倍好きです。
古くなったから立て替えるのは仕方ありませんがもう少し
需要に合わせたものにならなかったのか?


ところで壊れたテントは結局修復を諦め、自炊道具以外の
キャンプ用品は自宅に送り返すことにしました。
この先は全て宿になりますが自分の身体の状態から
致し方ないとの判断の結果です。

さすがにこれは想定外でしたけどね。^^;

やれやれ・・・



9日目につづく


スポンサーサイト



2015_08
30
(Sun)05:11

北への男旅 7日目



早いもので旅に出てから1週間が過ぎました。
今日のルートはオホーツク沿いに北上し最北端の
宗谷岬を経由して稚内を少し過ぎた抜海までの330km。

一般道のみの距離としてはこの旅最長なので東横インを
無料サービスの朝食も食わずに午前6時半に出発。
距離があるといっても稚内まで一切大きな街が無いので
時間は十分なのですが大きな不安要素がありまして・・・

恐れていた天候の悪化です。


網走市は早朝の時点で厚い雲が広がっており昨夜の
天気予報でも降雨確率70%とほぼ絶望的な確率。
バイクのりにとって長時間の雨は何よりつらいのです。


宗谷岬

結局、途中昼食で休憩した以外は一切観光せず
休憩せずで途中ポツリとは来たものの何とか雨に寝れずに
午後1時半には宗谷岬に無事到着することが出来ました。

ここでは他のライダー何人かとお話ししたのですが
これから私が行く稚内方面から来た若者は雨から逃げる
ように稚内市内からここまで来たとの事。

ここから稚内市内を通過して宿のある抜海まではまだ
50kmほどありますから、もう雨は避けられないと観念。
荷物に雨対策のカバーをかけ合羽をすぐに着られるように
出しやすい場所にセットして走り出しました。

ちなみに宗谷岬ですが上の画像部分はあまり四半世紀前
と変わっていませんでしたが駐車場は若干広くなって
整備されたように感じました。

それと昔は駐車場横のお土産物屋から四六時中
「宗谷岬」の唄がスピーカーから流れていましたが今回は
一切聞こえませんでしたね。



稚内どーむ

なんとか稚内市内まで降られず済みましたがまだ空は
怪しいままなので稚内ドームのみ見学して観光終了。
ところでこの稚内ドームって何の為にあるかご存じですか?

行ったこと無くてもメディア等で姿をご存知の方は
多くいると思いますが、その役割についてはあまり
詳しく取り上げられる事もないので知らない方が多い。

稚内ドームは正式名称を 「北防波堤ドーム」 と言います。
ならば防波堤じゃないの?と言われれば確かに今もその
役目を果たしているんですがそれだけではありません。

実はここ戦前まで鉄道駅だったのです。

稚内駅から伸びてきたレールがドームの支柱の前に
2線あって支柱の後ろが鉄道ホームでした。
当時、稚内と樺太を結ぶ航路があって鉄道からの
乗り換えの利便を図って建設されたものです。

一応鉄ちゃんなのでこれ豆知識な! ^^b



ばっかす

今夜の宿は抜海にあるその名も 「旅人宿 ばっかす」。
ここも元旅人が北海道に移住して経営するドミトリー宿です。
宿のご主人は私は初めてお会いするのですがフェイスブックで
頂いた友人からの情報によると私と共通の友人が多いみたい。

それもそのはずでご主人と話して解ったのですが彼も桃岩荘の
ホステラーとして89年に島を訪れており、それも私が乗ってきた
船で島抜けしたので当時港でニアミスしていたのです。

ニアミスして26年後に初めて会う

考えて見れば不思議な巡り合わせです。
ご主人も同じフェイスブックのコミニュティに属していたらしく
桃岩荘の元ヘルである私がここに向かっていることを共通の
知人から情報を得ていたのでした。

この宿に泊まると決めたのは昨日なのに、そのことをフェイス
ブックで流したらご主人を知る私の友人が気が付いて
ばっかすの主人は知ってるよとのメールを私も受け取って
いました。

あえてその事は言わずに宿入りしたんですけど
1時間もしないうちにご主人にバレました。^^;
凄い世の中になったものです。

悪いことも出来やしない!

さて旅も1週間になり疲れが抜けなくなってきていて
天気が悪いこともあり、この旅初めての休養を取る
ために早々とここに連泊することを決めました。



8日目につづく



2015_08
29
(Sat)04:28

北への男旅 6日目 第2話

知床

知床峠の頂上に着いたのは午後1時過ぎ。
天気はピーカンで大変景色も良いのですが標高が高いので
走ってると寒く感じて、8月だというのにトレーナーを着ました。

ほぼ同じ緯度にある旭川なんかでは暑いと報道されても
なぜか道東地区は低地でもあまり気温が上がりません。
夏場の天気の悪いことの多い道東でこのピーカンですから
文句言っちゃあいけませんがね。
(実際にこの翌日には大荒れだったらしい)



原生花園

8月は大型連休とあって一番ライダーの多い時なんですが
本当のこと言うと一番見どころの少ない時期です。
花々も6~7月のがはるかに綺麗だし食い物も秋の旬が
多いし、夕日や星空も夏より秋でしょう。

ここ原生花園も8月に入ってからだと花などほとんど無くて
ただの広い草原です。
それでもツアーバスは結構来てました。
なに見に来たの? (オマエモナー)^^;



呼人浦

午後3時に本日の野営地に到着しました。
ここは網走中心街から5分程走った郊外にある網走湖の
湖畔でJR石北線沿いにある 「呼人浦キャンプ場」です。

設備こそ水場とトイレ位しかないけれど網走湖に沈む
夕日を水辺のテントで見られるロケーションは最高だと
の評判からここを選んでみました。

しかもここ利用料無料なんです。

北海道がキャンプ天国と言われるのはこうした公費で
整備されたキャンプ場が無料で開放されている場所が
多いことにつきます。

脇に国道が走っており静かさという点では減点ですが
夜になれば通行量も大したことないし、他がこれだけ
充実してれば文句の言いようがありません。

さすが旅人にやさしい北海道!

さっそく場所を決め晩御飯を何にしようかとウキウキ
しながらテントを張り始めた時にそれは起こりました。
メインポール(屋台骨)を金具にセットしようと曲げると・・

メキ・・ メキ・・  ボキッ!

なんとテントのメインポールが音を立てて折れました。
あまりの予想外の出来事にしばし唖然・・・・。
予備も無い部品ですからもうこれでテントは張れません。

この時、冷静になれば簡単な応急措置で一晩くらいなら
凌げたのですが軽いパニック状態で広げたテントを
畳み、気が付いた時にはビジネスホテルを予約してました。


東横イン

人生初の東横イン!

網走駅前にあるビジネスホテルに入ったのですが
あまりのショックにしばらく動けず、とにかく落ち着くのを
待って今後の事を考えねばなりません。

近くのファミレスで夕食を取り、コンビニで酒を買い込んで
シャワーを浴びたらようやく冷静になれました。
そして一番重要な問題の解決策を探ります。

壊れたテントのポールをどうするのか。
応急処置を繰り返しながら使うのか。
いっその事どこかで新品を買い直すのか。
しかし北海道のどこで売ってるのか。

やけ酒を煽りながらタブレットで検索している
うちにいつのまにか寝てしまいました。


7日目 第1話につづく






2015_08
28
(Fri)06:18

北への男旅 6日目 第1話

摩周湖

男旅6日目の朝。
日も登らぬ早朝から宿主のA君に起こされてクルマで10分。
名前の通りの霧の摩周湖に連れて行ってくれました。

摩周湖はこれで来るのは3回目ですが何故かいつも
晴れてて雲海を見ることが出来たのは実は初めて。
湖面の見える湖も綺麗ですがこれはこれで味があるな。



また逢う日まで

楽しかった再会の宴も終わりA君ともここでお別れ。
「今度いつ会えるかわからないけど必ずまた会おうな!」
そう言って何度も固く手を握り締めてくれた。
出発前の記念写真の後、見えなくなるまで見送ってくれた。

離れてたって会えなくたって

僕たちは一生の友達です。


暖かく迎えてくれてありがとう。
必ずまた会いに来るからな。

そう伝えようと思ったけど胸が詰まって
泣き出しそうなので涙を見られないように
サングラスを掛けて走り出しました。





今日のルートは標津からオホーツク海に出て知床を縦断し
網走までのおおよそ230kmの予定です。

昨日までの不安定な天気はどこへやらこの時期の道東
にしては珍しいピーカンな青空がとても気持ちいい。



マーボー丼

知床に入る前にお昼ご飯はまたもやセイコマのどんぶり。
このセイコマ(またはセコマとも言う)のコンビニはテレビで
知ったけど旅人にも本当に便利なのだ。

ほとんどの店舗が調理場を持ち出来立てを提供して
くれるしお惣菜なんかも最初からひとり分の分量をどれも
100円で売っているのでお昼ご飯はもちろん夜のキャンプに
もう一品おかずが欲しいなんて時に大変重宝する。

20代の時に訪れた北海道にはコンビニはほとんど無くて
それどころか道の駅なんてのも無かったから知らない街で
キャンプの食材を買うのに苦労してました。

今は水や食料の調達も困らないし清潔なトイレもある。
それに立ち寄り先が増えたから旅人同士の情報交換の
場も増えて一見良いところばかりに見えるが・・・

「買ってでもする苦労=旅の思い出」

という図式がやや崩れたような気がしないでもない。
中年になった今の身にはともかく、若き旅人にはもっと
旅で苦労してもらいたい思いも捨てきれない。

楽な事は何も記憶に残らないし

まあオヤヂの戯言なのかな・・・・



さて腹もチャージ完了なので知床へ向かいます。


6日目 第2話につづく

2015_08
27
(Thu)06:08

北への男旅 5日目 第2話

糖平湖
屈斜路湖・・・だっけな?^^

本日再会する友人は元々は地元の隣県在住だったけど
一念発起して北海道に移住し宿を開いて15年というA君。
最後に会ったのは24歳の時だから実に28年ぶりになる。

この旅で再会する個人的なお友達は5人だけど、1人を
除いて彼のような本州からの移住組なのです。
私と同じように若い頃に旅して北海道にハマった人達。

私だって移住したい希望はあったけどいろいろな事情から
さすがにそれは実現しなかったけど、まあ仕方ない。
彼だってここまで来るのは一筋縄では行かなかったし
大変な覚悟を持っていなければ難しい事なのだ。



あさ寝坊

これが彼の経営する旅人宿 「あさ寝坊」。
北海道に多いドミトリー形式(男女別相部屋制)の宿。
この手の宿は洒落た外観の建物も例外的にあるけれど
一般的には極普通の民家風が多い。

民家を改造して始める場合が多いという理由と
基本的には個人客(一人旅)を主な対象としているので
家に居るようにくつろいで欲しいというオーナーの心遣いだ。

実際に看板が無ければ民家にしか見えないし家族のみで
経営する小規模な宿なので旅先というより初めて泊まる
親戚の家みたいな感じを受ける場合が多い。



朝寝坊夕食

A君との久しぶりの再会に話が弾みます。
またこの宿の夕食はオーナーのA君家族(奥さん娘さん)と
一緒に食卓を囲むので今夜の客は私1人ですが賑やかです。

こうしたドミトリー形式の宿は他人の懐に入ったり、それを許す
コミニュケーション能力が必要ですが少し勇気を出して
飛び込めば慣れるのは案外早いものなのです。

最近の一人旅する人の中にはプライバシーを重視し
こうした宿を好まない傾向が増えて来ているようですが
人とのふれあい無くして何の為の旅なんでしょうかね?

個人の好みと言えばそれまでですが。



洗濯
思いっきりピンボケ画像ですみません ^^;

どんなに楽しくても時間は必ず来てしまいます。
明日からの為に、この旅初めての洗濯をしてお休みします。
相変わらず天気予報は大気が不安定を繰り返しています。


6日目につづく




2015_08
26
(Wed)05:50

北への男旅 5日目 第1話

先客

5日目の朝となりました。
就寝の早いキャンプでは当然朝も早くなるのが普通です。
早朝4時、朝の儀式を済ませようと厠に行くと先客がいます。



順番待ち?

よう、おめえどこから来たんだ?

オイラはな、三河の国から来たんだ!


てな会話をヒツジとするわけでもなく仲良く並んで順番待ち。
すぐに先客が出たので、一応お前入るのか?と聞きましたが
返事が無いのでじゃあお先にと。

そうですこのキャンプ場は朝になるとヒツジが放牧されて
キャンプサイトをうろうろするので有名な場所なんです。
ほとんど鳴きもしないので、うるさくは無いんですが
振り向くと突然居たりしてびっくりすることも。^^;







今日のルートは美瑛を散策し旭川に向かって北上した後、
層雲峡を経由して弟子屈に至る300kmと少々長め。
本当は釧路まで南下したかったのですが体力と相談して止め。



マイルドセブン

朝7時にはキャンプ場を出発して最初に向かったのはここ。
知る人ぞ知る 「マイルドセブンの丘」です。
禁煙して10年が経ちますが一番お世話なった銘柄なので
一度は来てみたかった場所なんです。

ちなみにこの時期は早朝午前8時くらいまでに来ないと
逆光になってしまって画像のような写真は撮れません。
案外知らない人が多く逆光の写真をよく見かけます。
来るなら富良野か美瑛に泊まって早朝出発することですね。



花畑

残念ながらラベンダーは既にほとんど終わっておりますが
まだまだ8月初旬の美瑛は見どころがいっぱいあります。
男が花に見とれるのが許されるのも一人旅ならでは・・かな?^^



イモ団子

途中の道の駅で昼食をと頼んだのが揚げイモ団子。
厳密には北海道のジャガイモの旬は9月になってからですが
とりあえず他に食いたいものが無かったので。

食後に少し昼寝して気合を入れて再出発します。
さて今日も久しぶりの再会が宿で待っています。
彼とどんな話をしようかとワクワクしながら向かいます。


5日目 第2話につづく




















2015_08
25
(Tue)01:21

北への男旅 4日目 



男旅も早4日目になりました。
この日の移動も富良野まで160km程と少ないので朝はのんびり。
友人宅を出発したのは午前9時少し前だったかな?

道が良く信号も少ない北海道では1日で500kmだって走れます。
もちろんその場合、体力が必要だし観光もしない条件ですが。
160kmならば3時間弱もあれば移動してしまいます。

しかしそれでは本当に只の移動で旅してるとは言い難い。
やはり一人旅の気楽さを生かして気に入ったところで停まったり
気になった道に入って行ってみたり自由に過ごしたい。


富良野の風景

私の場合巡航スピードは60km/hでほぼ固定。
北海道の郊外の平均速度としてかなり遅い。(法定速度なのに)
だから後ろから来るクルマにすぐに追いつかれてしまう。

とは言っても交通量が非常に少ないので邪魔にはならないし
ミラーにクルマが映ったら左に寄ってすぐに追い越させた。
そうオイラはスピードを求めてここに来たんじゃない。

踏み締めるようにのんびり走りたいのだ。

時には止まるような速度で景色を見ながら
時には地元の爺ちゃんのカブに抜かされて
でも頬に当たる優しい風が心地よく・・・



時計台ラーメン

のんびりし過ぎるくらいのんびり走って来ておまけに狩勝峠に
行くつもりがどこかで道を間違えて大回りして日勝峠を経由して
富良野の市街地に入ったのは午後1時過ぎ。

ふと目に入ったラーメン屋にて昼食を取ることにした。
街道沿い2軒並んだ店の片方は全国展開で地元にもある。
ならばと北海道ならではと道内チェーンの方に入ったが・・・。

残念ながら思いっきりハズレ。 (゚A゚;)

なんでも食い物は旨いとの北海道だが
そんなことは決して無いのである。



キャンプ場富良野

今夜の宿は中富良野にある 「星に手が届くキャンプ場」である。
富良野市内をぶらぶらした後、少し早いが人気あるキャンプ場
なので早めに行って今夜の城を作ることにした。



富良野夕食

午後4時には設置を済ませ再びバイクに乗って街に買い出し。
本当は自炊予定だったが出発日に痛めた腰がやや悪化し
立ったりしゃがんだりが辛いのでスーパーのお弁当で我慢。



富良野夕日

夕食とシャワーを済ませた後は旅のゴールデンタイム。
沈みゆく富良野の夕日を一人眺めがらの晩酌の贅沢な時間。
ファミリーサイトは賑やかですが一人旅用のソロサイトは
私含めて5組だけと、この夜は広々していて気持ちいい。

夏なので少し虫がうるさかったですが、それも日没後は
ほとんど居なくなって快適な夕涼みが出来ました。
明日の好天を願って午後9時には就寝。


※携帯電話のトラブルの原因は充電コードの劣化が
  原因で買い直して交換したら解決しました。




5日目につづく



2015_08
24
(Mon)05:23

北への男旅 3日目 第3話

再会1

帯広での再会となったのは26年ぶりのMさん。
私と知り合ったのは88年の礼文島でして、その後に
東京でも89年秋に一度再会しています。

実はこの方は自然を求めて大島・御蔵島と渡り歩いてきて
ようやく落ち着いたのがここ帯広と放浪気質の持ち主なのだ。
まあ要するに根っこの部分は似た者同士なのであります。

互いに結婚し家庭を持ちなかなか会う機会が無かったが
年賀状だけは写真入りで26年間欠かさなかったこともあって
今回の再会話も2カ月以上前からSNSで連絡しあってました。

旅で知り合った仲間というのは不思議なものでバイクの音を
聞きつけたMさんが家の中から出てきて 「やあ!」っと
まるで昨日も会ったかのように声を掛けてきました。

周囲から見ればとても26年間一度も会ってない二人には
見えないだろうと思うくらい普通に会話が始まるのです。
何の気負いも照れもなく、明日もそうであるかのように。




松山隆弘
※画像は公式H・Pより

旅に出るホンの10日程前、偶然にもこの夜帯広市内で
松山隆宏さんのライブがあることを知り、今夜お世話になる
Mさんと一緒にMさんの娘さんの運転する車でライブ会場へ。

この松山隆宏さん、あまり世間ではメジャーではないですが
30年以上前から全国を渡り唄を唄い続けていて旅人の間では
非常によく知られた存在です。
※日吉ミミとかケメのバックバンドしてた時代もあります。

私も友人に誘われてライブに行って以来、すっかりファンに。
90年代までは地元のライブハウスにも来てくれて何度か
行ってたのですが当の会場がつぶれて以来17年ご無沙汰。

本当に久しぶりに開演前の松山さんに挨拶に行くと
「変わらねえな」と握手して迎えてくれました。
実は彼とも長年年賀状を交わしておりまして一応彼の中では
友達のポジションに私を置いてくれているようです。(笑)






※代表曲「ねこ」を唄う松山さん。 拾い物映像でして当日のものではありません。

久しぶりに聴く彼の生歌と疲れた身体に心地よく効くお酒で
有意義で贅沢な帯広の夜を堪能いたしました。
ライブ終了後、スタッフの打ち上げにも入れてもらって
懐かしい話に花が咲きました。



4日目 第1話につづく


2015_08
23
(Sun)07:50

北への男旅 3日目 第2話

黄金道路

襟裳岬の前後の道路は通称「黄金道路」と呼ばれています。
これは険しい崖に湯水のようにお金を使って作った道路だから
まるで黄金を敷き詰めたようなものとの事からこの名が付きました。

現在でも工事は続いていて前回と比べても綺麗なトンネルがあったり
護岸の整備が進んでいるのが古い記憶と照らし合わせると解ります。
通常の交通量からすれば随分贅沢なようにも感じます。

北海道の沿岸道路の再整備は観光の誘致の為で、これまでの
トンネルでは路線バスは通れても2階建てバスやハイデッカーと
呼ばれる背の高いバスは通れない(すれ違えない)場所が多くて
ツアールートの障害になってました。

一見理屈は通るかのようですが、考えて見ればそれだけの為に
巨額の税金を使って財政を圧迫させ、ただでさえ人口が減り続ける
北海道の住人にそれを負担させるのはいかがなものかと。

行きにくいから秘境なのにねぇ



広尾駅

襟裳岬から帯広に向かって北上すると中間地点にある広尾駅。
「駅」とは名乗ってますが現在はバスの停留所になっています。
かつては広尾線の終着駅で昭和62年まで列車があったのです。
駅舎は鉄道時代のまま活用されてますがそれ以外に周囲には
あまり鉄道の面影がありません。




幸福駅

広尾駅からしばらく行くとあの有名な「幸福駅」があります。
愛国から幸福行きの切符がお守りになった時代知ってますか?
ブームは去って長い月日が経ってますが人気の観光地です。

廃線になって直後の夏と、その後2~3年と連続して来てますが
年々観光用に整備され駐車場や売店が整備され車両も展示。
駅舎に至っては近年立て替えられてしまいました。

私としては廃線直後のレールとホームと駅舎しか残ってない
頃の方が趣があって好きだったのに・・・仕方ないんですかね。
ちなみに現役だった昭和60年にもここを訪れています。



セイコマ

幸福駅を出て近くのセイコーマート(北海道で有名なコンビニ)
昼食を取っている時、バイクにナビ代わりに付けている携帯電話の
異常に気が付きました。

バイクのバッテリーから走りながら充電しているはずなのに
朝より大きくバッテリーが消耗し本体が熱くなっているのです。

第2のトラブル発生です。(゚Д゚;

帯広市内に近づいた頃には完全にバッテリーが死にました。
困ったのは今日お世話になる友人の電話番号から住所まで
この携帯電話にしか入っていないのです。

つまり電話で連絡を取ることも出来なければ場所も判らない。
なんとかバッテリーを復活させようとあれこれいじったり
携帯ショップを探して復旧を試みましたが店も見当たらない。

どんなトラブルが起きても一人旅ですから自分ですべてを
解決しなければなりません・・・ここが一人旅の難しい所。
しかしこれを楽しむくらいでないと旅なんぞ出来ないのです。

念の為にと買った予備の中華ナビを取り出して覚えている
途中までの住所を入力しそれに従って走り始めます。
電話が出来ないので番地までわかりません。

バッテリーがダメになる直前まで当の友人としてたLINE
でのメールのやりとりを思い出しヒントになる会話から
点と点をつないで行きます。

ようやく友人の住む町に入ったのですがこの先が判らない。
信号待ちの間にふと横を見ると簡易郵便局があったので
バイクから降りて尋ねることにする。

2丁目と言うことまで覚えていたので職員に聞くと
この前の道が1丁目と2丁目の境だと教えてくれたが
さすがに友人の名を言っても家まではご存じない。

バイクに跨り、とりあえず2丁目の方に行こうかと
郵便局の前の道をUターンしようとした時にふと目の前に
バイクが2台置いてある家に気が付いた。

その時に友人との随分前に交わした会話を思い出した。

「ウチ、息子と娘もバイクに乗ってるの」

まさかと思い、その家の表札を見てみると・・・・

その当の友人の家でした!

この偶然には神様を信じない私もさすがに驚きました。
あきらめないで記憶をつなぎ合わせ、出来ることと可能性の
あることはとことん探ってゆくという古典的な方法でしたが
ちゃんと答えを導き出すことが出来たのです。

これで今夜の宿の心配も無くなり26年ぶりに友人との
再会も叶うことになったのです。

長い事旅してますがここまでの偶然ってなかなか無いです。
見つけた時の驚きと喜びは一生忘れないでしょう。


3日目 第3話につづく


2015_08
22
(Sat)18:43

忘れたころにやってきた。

アマゾン箱

休日出勤を終えて帰宅すると何やらデカイ箱が届いている。
携帯と比べると大きさがわかりますかね?

俺何か買ったっけ? ^^;

いろいろと忙しい夏だったので少し前の事は覚えていない。
デカい割に持ってみると軽いので増々何か判らない。
中身を確認すれば早いのでさっそく開けてみると・・・・・




あ、あ~あ、うん、これか!!


DD51アオシマ

アオシマから発売された1/45のDD51機関車プラモデル!!
もうね注文したのは何か月も前だし、一度発売延期したりで
すっかり忘れてましたよ。

ちなみに密林の箱は商品に対して大きめの箱が多いけど
これは中身もほとんど変わらぬ大きさでした。

そしてこれはプラモデルなので作らなければ永遠にその
雄姿を見ることが出来ない。

にしてもこの大きさといえ、部品点数1000点オーバーの
超精密級の大作を作る時間があるのか俺?

数か月前の俺の所へ行って問い正したい。



とりあえず仕舞っておこう。(爆)



  
2015_08
20
(Thu)05:35

北への男旅 3日目 第1話



元気なかあさんのお見送りを受けて民宿「仙庭」を後にしました。
上記の映像はバスで出発する別の方のものですがバイクでも
同様のお見送りなので参考までにUPしてみました。

今でこそ立って旗を振るだけですが30年前のかあさんも
まだ若かったころはバスが発進しても可能な限り走ってバスを
追いかけ旗を振り続けていました。

この熱い心のこもったお見送りに送られる人は泣いたのです。
そしてまたいつかここに帰って来ようと胸に刻んで旅立ちました。
もちろんバイクの私も振り返っては手を振って応え、泣きました。

今日が最後じゃないよね?って

場所が変わってもまた逢えるよね。



26年ぶりでしたが元気なかあさんに再会できて本当に良かった。
自分が旅を続ける理由を再確認できたひと時でした。





さてと3日目、今日の行程は帯広の友人宅までの150㎞。
本当の予定では帯広郊外のキャンプ場で野営し、そこを基地として
友人に会いに行く予定でしたが、当の友人からの情報でキャンプ場
近辺に熊が出没していて閉鎖される可能性があるとの事。

「だったら私の家、泊まりなよ。」とありがたいお誘いを受けまして
ご厚意に甘えることにしたのです。

この友人とは桃岩荘ヘルパー時代に知り合いまして2回ほど
会ったことがあるだけですし、いつもみんなで集まったうちの一人で
私と二人で話したのは正味30分も無いと思われる女性です。

しかしどういうわけかウマが合ったのかその後24年に渡って
お互いの近況を年賀状でやりとりしてきました。
最近になってSNSで繋がり私の旅の計画を知ったのです。



さて、本日は移動距離も少ないし時間もあるので
あちこちと寄り道しながら帯広を目指すことに。
まさか次のアクシデントが待ち構えているとは・・・・




3日目 第2話につづく




2015_08
19
(Wed)05:29

北への男旅 2日目 第3話

仙庭2

北海道第一泊目は襟裳岬から1km離れた民宿 「仙庭」。
年季の入った建物は昭和45年製で開業当初とほぼ変わらない。
ここはかつて北海道では最も有名なユースホステルのひとつでした。
※以下YHと称します

何が有名なのかと言うと80年代までのYH全盛期に北海道には
「3馬鹿YH」ってのがありまして代表的なのが私も働いた桃岩荘YH
そして知床の岩尾別YH、そしてここ襟裳岬YHです。

YHという宿で何が馬鹿なの?と利用された事のない方の
為に説明しますと当時殆どのYHは夕食後、大部屋に集まって
ミーティングと称する小集会を開いていました。

宿周辺の見どころの案内や街の歴史などをペアレントと呼ばれる
経営者やヘルパーと呼ばれるアルバイトなどが説明に立つのが普通
なんですが、たまに宿泊者を巻き込んでの歌と踊りが派手な場所が
あり中でもはしゃぎっぷりが半端でなかったのが上記の3馬鹿です。

YHってのは青少年の育成が目的ですからアルコールは禁止です。
つまりその日たまたま泊まりあった人たちが一緒に大声で歌ったり
宿のオリジナルの踊りをシラフでやるという日常では理解できない
世界なのです。

しかし旅先という非日常の場ではこれがなぜか受けるのですな。
恥も外聞も無く共に騒げば不思議と他の人と親近感が生まれるし
それがきっかけで生涯に欠かせなくなった友人になったり後に
カップルになったり伴侶にまでなったケースもいくつか知ってます。

※ここではないですが私も妻とYHで知り合いました。^^



仙庭3
※1985.8.12日航ジャンボ機が落ちた夜の次の日の朝でした。
  ここはテレビも無いのでこの時点では事故を知りません。


これは30年前に私が初めて泊まった日の朝です。
当時は8月ともなれば毎晩60~80人の若者がいました。
毎晩のように宴が繰り返され沢山の出会いと別れがありました。

その後90年代に入って少子化、旅人の減少、相部屋制への
抵抗があって、ここのYHに限らずすこしづつ斜陽時代に入ります。
事実ここ30年で全国の半分のYHが廃業されてしまいました。

そんな中、襟裳岬YHも経営者の主人が亡くなったこともあって
10年ほど前にYH協会を脱退し規模を縮小し民宿として再出発。
経営スタイルが変わり昔日の賑わいは望むべくもありませんが
建物は内外装ともYH時代の面影をよく保存されてます。

そしてこの宿を語るときにどうしても外せない方がいます。



かあさん
※宿のH・Pより拝借画像。

旅人から 「かあさん」 の愛称で知られる経営者の奥さま。
YH時代から現在まで襟裳の顔として北の旅人には有名なお方。
亡きご主人はどちらかというとオーナー的な裏方の存在で
表に出てくることは無くて奥さまであるこの方がいつもお客さんの
前に出て笑顔と元気を振りまいていました。

独特なテンションの人で説明がしづらいので動画でどうぞ。^^




お暇な方はこちらもどうぞ。https://youtu.be/bd5aO7F_QAc


85年に最初に泊まった後、89年までに10泊以上お世話に
なり、時にはかあさんにアルバイトに誘われたりと色んな思い出の
宿の中でも特にお気に入りで今回も苫小牧から近いこともあって
真っ先に予約したのです。 その時宿のホムペに一文が・・・

2017年5月30日を持って廃業が決まりました。

もうねショックでしたよ

これで行かないわけには

いかないと心に誓いましたよ


最寄駅である様似駅を含む日高本線が1月の災害の
あと運行休止となり復旧の目処立たず廃線の可能性が高い事。

かあさんも高齢(と言っても60代後半)で後継者がいない事。

そして建物が古く消防法に適合しなくなってきている事。


ここに限らず思い出の場所が時代に飲まれて消えていきます。
仕方のない事なんでしょうけど寂しさが募ります。
かあさんの話を聞きながらしんみりしていると・・・・・

「でもねアンタは一番いい時代を経験したんよ」

かあさんのこの一言に救われた気がしました。


「かあさんはこの宿畳んだ後、どうするの?」と聞いたら。

「田舎である九州に帰ってまた宿でもやるかね!」


結局また宿やるんかい!



どうもこの方にとって「宿のかあさん」は天職なんだな。


大変残念だけど次にここ来ても宿もかあさんも
もう無いんだよな・・・・・・・。

その夜の酒はいつになく沁みました。



3日目 第1話につづく










2015_08
18
(Tue)07:54

北への男旅 2日目 第2話

フェリーターミナルを出発して苫小牧の街を走ってると
四半世紀前との違いにすぐに気が付いた。
新しい自動車専用道路が出来ているのだ。

しかし旧道と並走していて道路標識が混在しているし
ナビもどうにもわかりづらく、どういけばいいのか
悩んでいると先の信号にお巡りさんがいるのが見えた。

これ幸いと一人のお巡りさんの横にバイクを停め
道を尋ねると何故か戸惑ったような顔をしながらも
まっすぐ行けばいいと教えてくれた。

礼を言ってバイクを発進させようとした時にふと見ると
お巡りさんの足元に何か見たことある機械が・・・
あれ?これってもしかして??

ネズミ取りしてたお巡りさんに

道を尋ねてしまっていたのでした。


そりゃ向こうは戸惑うわな。^^;
しかし人間困っていると周りは目に入らないんですね。



キツネ看板

市街地を抜けてしばらく走るとさっそく北海道ならではの
道路標識を見つけたので記念に1枚パチリ。
鹿やタヌキや熊などは本州にもありますがキタキツネは
北海道でしか見られません。

今日走るこの道は28年前に2度目の北海道上陸した時と
全く同じルートなんですが通り過ぎる街並みが一変していて
驚きを感じています。

寂れた漁村でしかなかったのにモダンな建物ばかりに
なっていたり自分の街でも見かける店があったりするし。
道路も拡張され狭くて暗いトンネルが長く綺麗なものに
なっていたり・・・。

当たり前って言えば当たり前の事なんですけどね。



日高

名馬の産地日高を過ぎたあたりか何だか涼しくなってきました。
山側の空は晴れているのですが海側は曇り、どんどん霧が
深くなってきてそのうち寒く感じるようになってきました。

耐えきれないと判断しバイクを停め、真夏用のメッシュジャケット
を脱いで春秋用のジャケットに着替えました。
結局この真夏用メッシュジャケットはその後着ることがなく
後に起こるアクシデントの際、自宅に送り返しました。



仙庭1

民宿に着く前に近くにある襟裳岬に寄ってからと思っていた
のですが余りに霧が濃くて何も見えないだろうから明日行くこと
にして、とっとと宿入りすることにしました。

実はこの宿は泊まりたいとの目的があって予め予約してました。
30年前の北海道初上陸の時からここには縁がありまして
次回はちょっとその辺の事書いてみたいと思います。



2日目 第3話につづく


2015_08
17
(Mon)05:12

北への男旅 2日目 第1話

2日目船

2日目の朝となりました。
早朝6時、船はまだこの時点で宮城県沖を航行中なので
正面に北海道が見えるわけではありません。

つか、なんか天気が怪しくなっています。
肌に当たる風が昨日より湿っぽいのは海の上だからでしょうか?
それとも低気圧で悪天候に向かっているのでしょうか?



フェリー 朝食1

大洗 - 苫小牧間の乗船時間は19時間。
ということは昨夜の夕食を含め、3食はこの船の上になります。
昨日の食事の酷さに食欲も沸きませんが、既に3食分の食券を
購入してしまった事と、これからの旅に備えてしっかり食わねば。

で、レストランに行ってみると朝食は意外にまともで味も普通。
まぁ、このメニューなら誰が作ってもそこそこだよな!



カレー1食目

相変わらず何もすることないまま、すぐにお昼ごはん。
下船は13:30・・と言ってもこれは到着時間ではありますが
車両航送の場合実際に降りることが出来るのは30分後くらい。

船の構造や会社により積み込みの手法が違うので一概には
言えませんが今回のサンフラワーの場合、船の一番先頭部に
1つしかない後部の出入り口から最初にバイクを積むので
出るときは他の車両が降りた後になるのです。


到着港

7月30日PM1:55に久しぶりに北の大地に降り立ちました。
いよいよこれからがツーリングの始まりになるのです。
一緒に積み込まれたバイクは15台くらいでこの時期としては
少し少なく感じましたが、どのライダーもワクワク感いっぱいの
顔をしております。^^





到着が午後なので今日はもう遠くへは行けません。
本日の走行は予約してある襟裳岬の宿までの180km。
普通の本州人の感覚なら一般道だと7時間以上の距離ですが
ここ北海道なら4時間くらいで到着するだろうとの計算で計画。

さあ、走り出します!!


2日目 第2話へつづく



2015_08
16
(Sun)07:46

北への男旅 1日目 第2話



旅の1日目と言っても特に何も無い移動日である。
茨城県大洗港を18:30に出港するフェリーに乗るので
17:00の手続きに間に合えばいいのです。
※長距離フェリーの場合、出港の90分前から受付する。

自宅を出発した後、国道1号線を東上し浜松まで走る。
本当は東京直前までそのまま一般道で行くつもりだったが
足を着くたびに先ほど痛めた腰に響くので高速に乗ることに。

平日早朝とあって道路は空いており順調に走るのだが
東京に近づくほど今度はある懸念が沸いてくる。

東京の混雑と首都高の走りづらさだ。

案の定、高速出口(首都高入口)から車が混んでいる。
これまでにも何度か通ったが一度も良い印象のない場所。
フル積載のバイクで渋滞は痛んだ腰には厳しい。

走り出せば走り出したで半世紀前の設計の道路は狭く
カーブもキツく田舎者には気の抜けない怖い道路である。
有料道路なのに整備が追い付いておらず路面も悪い。

このままで東京五輪大丈夫か?
と要らぬ心配を今からしてしまうほどだ。



茨城港到着

東京を抜けた後、昼食と昼寝を挟んで茨城港に14:00に到着。
予定より早く高速に乗ったので随分と早めに着いてしまったが
東京通過で予想以上に疲労したので手続きまでここでも昼寝。



晩飯729

午後5時半には乗船完了しすぐに風呂に向かう。
出港までの1時間の間に風呂と食事を済ませておかないと
夕方出港の場合、どちらもかなり混み合うのを経験している。

船内の夕食はカフェテリア方式で1900円とちょっとお高い。
若い頃は乗船前に買ったカップめんやおにぎりで済ませていて
船内レストランなんてほとんど使ったことなんか無かったが
せっかくの久しぶりの北海道だからと奮発したのだが・・・・


びっくりするほど不味い!
とまでは言わないが

船内という条件やコストを考えてもこれはないだろうレベル。
上の画像を見てこれが1900円の食事に見えるだろうか?
正確にはビールも付けているので約2500円なのだ。

長距離フェリーの場合、私の経験から船が新しいのと
食堂の味は厨房設備の関係があるのか比例する場合が多い。
今回の三井商船フェリーの場合、2年後に新造船に交代する
らしく船籍は古いので不味いのはしょうがない。

とでも思って怒りを収めました。(笑)



酒盛り

出港してしまえば何もない船の中。
陸地から離れて電波が届かなくなる前に自宅に報告メールと
友人たちにFBを通じて現況を知らせたらもうやることがない。

船内の売店で買ったビールとワインで窓辺に佇み一人酒盛り。
これからの旅の期待に胸ふくらませ、腰の痛みの不安を抱えて
暗くなりつつある海面を眺めていた。


1日目終了・2日目第1話につづく


※火災を起こしたのは、この翌日の深夜発便でして
  本人はこの翌々日になって初めて知りました。




2015_08
15
(Sat)17:05

北への男旅 1日目 第1話

出発日

平成27年7月29日。
待ち続けた日がとうとうやってきた。

午前4時に起床し自身の身支度とバイクへの荷物を始め
すべての準備が完了し最後に駐車場からバイクを出そうと・・・

ここで最初のアクシデント発生!


この日初めて履くシューズが慣れなかったのか、大きな荷物に
足元を見落としたか駐車場の僅かな段差につまづき、バイクごと
転倒してしまった。

幸い怪我は無かったのだがこの後の判断を誤った。
荷物を満載(推定40kg)したバイクなんか、そのままで起こせる
訳ないのに何故か焦ってしまって力任せに直そうとしたら・・・

ここで人生初ギックリ腰に!

痛みを感じた瞬間に力を緩めたので腰が抜けるまでは無かったが
それでもかなり痛みが残っている・・・出発できるのか??
とりあえずそのままでは何とも成らんので長男を起こしてバイクの
立て直しを手伝ってもらった。

画像はその時、ついでに撮ってもらったもの。
悠然と?立っているように見えるが、この時点では痛みを堪えている。
少し落ち着いた後、身体を軽く屈伸しバイクに跨るのも問題ないので
どうにかなるさと出発を決意した。

24年も待ち続けたのにこんなことで諦めるわけにはいかないのだ。
とにかくこの時は気力だけは充実してて、今考えれば普段だったら
こんな状態で決して外出なんかしないだろう。

案の定、痛みはこの後10日間に渡って私を苦しめる事になる。

先の思いやられる出発となってしまった。



1日目 第2話へつづく


2015_08
15
(Sat)10:55

無事終了のお知らせ

新日本海フェリー

平成27年8月14日PM11:59

無事自宅に到着し16泊17日、総走行距離3900kmの
北海道ツーリングを終えたことをご報告いたします。

連休後はまだ忙しい日々が続くので不定期にはなりますが
今後約一カ月をかけて旅の模様をUPしていきたいと
思っていますのでよろしくお願いします。



             りゅーでん管理人