2012_02
27
(Mon)06:12

造形村DD54 デビューする  その2

顔比較DD54

あまりの部品後付けの多さと2両もあることでまだ躊躇してる新車整備のDD54。
運転会の当日朝、それでも何もしないまま持っていくのはちょっとなと思い5分整備。
この2両右の3次型が施工後で左が製品購入のままの6次型。

どう違うか解ります?^^



P1020619.jpg

ヒントは以前に某家電量販店の模型コーナーで見つけたコレ!
車体の継ぎ目などを強調する為のスミ入れ専用液で鉄道専用ではありませんが
16番車両にも使えるかなと何となく購入してあったもの。

通常の塗料でもスミ入れは出来ますが予め一定の濃さと粘度で調合してあり
しかもエナメル系なので失敗しても簡単に拭き取り修正が出来ます。
また、非常に粘度の低い液体でほぼ水に近いので、かるく筆で当てるだけで
毛細管現象を起こしてスムーズに溝に流れるという特性があります。

ちなみに最初の画像では運転席窓下の通風器に塗布して見ました。
画面ではわかりにくいのですが肉眼では立体感が強調されて
実車に近くなったような気がします。


ファン色入れ

屋根上の排気ファンにも塗布してみました。
上がノーマル、下が施工後でやはり画面では解りにくいですがはっきり違いがでます。
ただし垂れるほど液を筆に付けると金網下のファンまで色が付いてしまうので
ここは極薄く筆を這わせてあります。


エアフィルター

やはり一番効果が大きいのが車体側面のエアフィルターでしょう。
実車ではフィルターの枠外まで煤煙で真っ黒になっている場合が多いですが
モデルにおいてそこまでやりたくない場合にも有効な手段に思えます。

私も最近になって製品にウェザリングをするようになりましたが、失敗のきかない
エアブラシ等の技法はまだ敷居が高くてパウダーや専用液に頼っております。
お手軽な技法でいかに効果を出すかは後は本人の工夫しだいですね。

他人にオッ?と思わせる一癖ある車両

そんな車両を持ちたい作りたいって思いませんか?

なかなか難しいことなんですけどね。

考えてるだけでも楽しいっす。^^




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2012_02
26
(Sun)20:38

運転会訪問

機関車集合1

本日は予定通り、地元唯一の16番模型クラブである「穂の国鉄道模型クラブ」
月1の例会に潜入させていただき今年初の模型運転を楽しんできました。
この日の参加者はゲスト(俺もだが)を含めて9名でして予想通り、発売された
ばかりの「造形村・DD54」が6~7両は集まってました。
   ※画像では私の2台しか写ってませんが。 ^^A



ニセコ

まずは1年半ぶり?に走らせた「急行ニセコ」のオールブラス編成。
前回の花月園では電圧の弱いパックを割り当ててしまった為か、ロクに速度が出ず
早々に引き上げてしまって不完全燃焼でしたが今回はバッチリ走り満足!!


C50初走行

次に登場したのは地元豊橋にも縁のあるC50型蒸気機関車。
モデルはマイクロキャスト水野製の後期型で当鉄道配属して5年目の初走行。
水野製の蒸機は線が細くて日本型蒸機独特の繊細感をよく表現してますが
いかんせん機関車らしくない軽量車で牽引力に懸念があるのと実車のほとんどが
入れ換え専用として使われたため営業列車のイメージが沸かずこれまで
当鉄道でも展示専用機となってました。

実際に走らせたところ平坦線であればプラ客車5~6両は充分に可能と判明。
出力×重量=牽引力と言う単純な公式だけでは無いと証明することに。
それにしても実車が当時の最新の技術を盛り込んだ結果、逆に扱いづらくなり
不遇の生涯を送ったというところにDD54と通じるものを感じてしまいます。



Nge-ji部門

今回はゲストの希望もあって特別にNゲージも同時に走行しました。
レイアウトの作者は既に亡くなられていて、このクラブの前身である蒲郡鉄道模型
クラブ時代に寄贈されたものを倉庫から引っ張り出してきたものです。



バナナコキ

造形村DD54とほぼ同時期に発売された富のコキ200は古株K氏の所有。
差し入れで持ち込まれたバナナと何となく同じ長さでしたので載っけて見ました。
もちろんこの私の仕業なんですが・・・・・

深い意味はございません。 (゜∀゜)


この他に持ち込んだ車両は485系12連や2軸貨車、ED62やED19も
ありましたが他の参加者の車両と同様に殆んど撮影しておりません。
この運転会では楽しむことが第一で記録にはこだわっておりませんので。
正直言うと動画も撮ったのですが個人の顔が多く写りすぎてとても
公開できない出来になってしまったんです。orz

また、本当ならこの週末は「第3回 こだま運転会」の予定でしたが諸事情で
今年は開催中止となってしまいました。

それでも久しぶりに鉄分の濃い1日を仲間と過ごせたので満足です。







2012_02
25
(Sat)16:53

造形村DD54デビューする。  その1

3次と6次

一部通販では昨日既に届いたところもあるようだが正式には本日発売のDD54。
私も午後1時の開店と同時に1番乗りで昨夏から予約してた2両を引き取って来ました。
我が鉄道にとっては一年二ヶ月ぶりの新車導入であります。

この間に知人友人との交換や譲渡で配属された車両も少なくないですが
純粋に模型店から新品を引き取ってくるのは昨年のカンタムC62、トラム60以来。
この2両の購入の為に155系電車の購入も我慢していたので期待度大なのです。

まだ未練はありますけどね。^^;155系・・・

まずはパッと見からすると非常にそつなくまとまっていると言っていいでしょう。
素材やゲージに関係なく、この世界に参入してくるメーカーにはいつも不安があり、

発売直前になって予告日程は遅れるは、
予定価格より値上げしてくるわ
出来上がりを見たらエラー多くてクソだわ、
挙句に不良でメーカー回収とか・・・・・・

ほかの業種だったら一発で信用失って廃業レベルのことが過去に何度か
経験させてもらってますので少々のことは慣れて来てはいますけどね。

一応今回その心配は無いように感じます。

と言うのも造形村のデビュー作である0系新幹線の素晴らしい出来栄えに
感動して今回のこのDD54に大きく期待をして予約したのですから。
まず第一印象としては合格を与えてもいいと思います。
欲を言えば6次型の窓Rはもう少し大きいほうが似てたかな?

で、車体よりも何よりも箱を開けて見て驚いたのが手すりを初めとする
後付部品の数の多さで、数えたわけではありませんが100点近くあるのでは
ないのか?とKATOや富で見慣れたはずなのに圧倒されてしまいます。
確かにこれをメーカーで全部付けて出していたなら3割値上げしてもおかしく
ないかも知れません。それくらい中国も今は人件費が高騰してますし。

後は些細な問題ですが梱包時の取り扱いからか屋根上の汽笛がやや曲がってる
のがあるのと2両のうち1両は信号煙管が欠品してたことくらい。
いずれにせよ購入時には良く確認して見た方がいいですよ。

☆信号煙管は他のプラ製品の余りが沢山あるのでウチでは問題としません。


困ったのは実は明日、地元クラブの運転会があるので今夜中に仕上げて
試運転をと目論んでいたのですが・・・この部品の多さでは間に合わないかも。
車番や部品の無い車両を走らせるのは好きではありません。


何にせよこれからじっくり組立ててみます。
しばらくはこのDD54でブログ記事が書けそうです。^^v














2012_02
24
(Fri)22:07

明日は54

お陰様でインフルエンザは完治しましたが
本業が多忙期に入り、連日の長時間残業で心身ともにへたばってまして
とてもじゃないが帰宅してからブログ書くどころかPCに電源すら入れない
日々が続いてまして気が付けば10日間も間を開けてしまいました。

すまんこってす皆の衆 m(_ _)m


明日発売54

さて、明日はいよいよ半年間待ちわびた「造形村 DD54」の発売日です。
もちろん私もうなぎ模型の開店時間に駆けつけてゲットするつもりでありんす。^^
予約したのは3次型と6次型の2両でもちろん同時に引き取り予定。
この日の為にいっぱいいろんなモノ我慢して資金繰りいたしました。

DD54と言えば僅か10年程、山陰と近畿の一部区間のみ存在した形式で
全国的には殆んど無縁な特殊な形式であり本来なら東海地方在住の当時小学~中学生
だった私にもお目にかかることは無かったはずでした。

ところが偶然にもこのDD54の現役時代の姿に触れる機会があったのです。
時は昭和48年、私が小学5年生の時に初めて京都に行く事になりました。
ちょうど実父を病気で失って1年が過ぎた頃で生活にもやや落ち着きが出てきたので
母と姉と私の3人で旅行に行くことになったのです。

落ち着いたと言っても大黒柱を失った我が家に経済的余裕はありませんので
旅行といっても日帰りで京都に行くくらいが精一杯だったのです。
梅小路の蒸気機関車を見たいと言う私の希望と京都の寺を見たいという姉の希望で
京都に行き先が決まりました。

梅小路蒸気機関車館は鉄道開通100周年の昭和47年の開館ですから私が訪れた時は
まだ開設1年も経っていない頃で改修された現在とは随分趣が異なっていたのを
この時はカメラを持っていなかったので1枚の写真も残しませんでしたが
今でも記憶には鮮明に残っています。

煙をくゆらせる蒸機を眺めていると機関車館の横の線路をブオ~ンと大きな機械音を
鳴らしながら見慣れぬ列車が通過して行くではありませんか!!
それが山陰線京都口の普通客車列車で機関車がDD54ということは帰ってから
鉄道誌で調べて初めて知りました。

次に会ったのは2年後の昭和50年で、この時に既に運用の大半は播但線に
移っており山陰口を走る姿は見られませんでしたが京都駅1番線ホーム端のちょっと
向こうに留置されているDD54を駅通路から見たように記憶してます。
これが現役時代に彼を見た最後になりました。

この日から長い片思いが始まったのです。


まさかこの先3年も経たずに彼らが姿を消すことになろうとは
まだ誰も知らない時代でした。


2012_02
14
(Tue)22:43

25個目のチョコレート

バレンタインチョコ

本日はバレンタインデー。

皆さんはプレゼント貰いましたか?

私は1つだけ頂きました。

知り合ってから今日までの25年間もの間

一度も欠かすことない妻からのチョコレート。



昔から変わったことと言えばひとつだけあります。


お返しのおねだりが露骨になったことくらいです。

ええ、それだけです。



うん。






2012_02
13
(Mon)08:59

気が付けばさよなら

飯田線トリオ

世間では300系新幹線の引退が報じられていますが、この春のダイヤ改正で
27年の活躍を終えて去っていく地元の飯田線の電車があります。
画像左の119系(塗装は国鉄時代の姿です)がそれです。

一番右の「流電」は中学生の頃、隣町の叔父の家に遊びに行くのに毎週のように
乗っていましたが昭和53年に引退し画像中央の80系に交代しました。
飯田線沿線の高校に行くことになった私は3年間通学にお世話になりましたが
高校卒業後の僅か1年後にこの80系電車も終場を迎えます。

そして登場したのが飯田線初の専用電車119系です。
車体は新造ですが台車、モーター、電気機器は中古品で純然たる新車では
ないのですが他線のお下がりばかりだった飯田線では随分立派に見えたものです。

ところが私自身は既に学校を卒業しており119系が登場した頃には日常的に
飯田線に関わることが無くなってしまっていて、あまり縁の無い電車でした。
ましてこの頃は鉄道趣味から離れていた時期だった事もあり関心も薄かったのです。
結局この27年の間に所用で2度乗ったきりなのです。

この間に国鉄はJRに変わり119系も装いを改め、時代に合わせて冷房化され
更に一部は単行化の為に両運転台化されるなど数々の変化がありましたが
飯田線の為に生まれ、飯田線で引退していく初めての形式となったのです。

自分にとって馴染みがなかったとはいえ、長年地元を走り続けてきた電車が
もう2度と見られなくなるという現実はやはり寂しさを感じてしまいます。
模型専任で撮り鉄も乗り鉄もやらない私ですが周囲が賑やかくならない今のうちに
こっそりと最後のお別れをしてこようと思います。

声には出さないけれど「ご苦労さま、さようなら」とつぶやいて来ます。
駅に行って少しでも彼に触れ、最後の乗り心地を体に刻んできます。
誰からも見えない沿線に行ってテールライトに向かって思いっきり
手を振ってやろうと思います。



2012_02
12
(Sun)17:35

目でモノを言う

犬1

人がコタツで横たわっていると、いつのまにか寄ってきて
人の体に顎を乗せて無言で見つめるオマエ・・・。


わーってるよ!

散歩は行かないの?って言いたいんだろ。

とーちゃんはビョーキで療養中なの!!

お外には出れないの!





人の心、犬知らず。

2012_02
10
(Fri)13:27

そのまさか

診断書

何の根拠もなく「自分に限って」と思い込んでるフシがあります。
今週の私は正にそれで最後まで抵抗しましたが結果として「そのまさか」でした。

火曜日から続く倦怠感と悪寒で体調最悪だわ、そのせいで仕事はミスするわで
散々な日々を送っていたのですが今朝になって急激に緊張の糸が切れて
会社を休み、朝1番で友人の経営する診療所に駆け込みました。

「A香港型ですね。」

頭の片隅にはあった病名が現実になった瞬間でした。
思えば私、昔から非常に風邪を引きやすい体質で年に4~5回はなるのですが
インフルエンザに限れば小学校低学年に1度かかったきりでここ40年近く無縁でした。
そんな経緯が「私はインフルエンザに掛からない」と思い込んでいたのです。

また、風邪ひきも回数は多いものの症状が軽く殆んど市販の緩和薬呑んでおとなしく
してれば長くても1週間ほどで完治していましたが・・・。
ところがここ数年は少し変化があって1度引くと非常に長く病んでいる事が多くなり
昨年秋など一ヵ月くらい治らなかった事があります。

歳取ったんだからしょうがないけどね。

てなわけ仕事もブログも少しお休みです。
これ書き終わったらまた布団に戻って寝ます。

自己診断は危険ですよ皆さん!
少しでもおかしいと思ったらすぐに病院に行きましょう。
体質も一生同じままではないのです。

インフルエンザも流行のピークは過ぎたようですがまだまだ用心は必要です。

※ニュースを見たらまだ増え続けているとのことでピークはこれからのようです。
     
                   2月11日追記

どうか皆さんもお体にご自愛を!。




2012_02
05
(Sun)20:20

工作の検討中

疲れている時や寝るまでにあまり時間のないときは
工作の進捗や予定を整理したりして過ごしています。
ここでブレーキを効かせず工作を始めてしまうとあっという間に
午前2時3時になってしまい当然仕事に影響するからです。

1日15分工作とか絶対にできない自分。^^;

始めてしまうと時間を忘れて没頭してしまう時や途中で止められない
工程もありますし何よりも中途半端で止めると後がめんどくさい。
性格にもよるでしょうが自分の場合最低2時間程度の時間が無いと
期限でもない限りまずやりません。


クモハ157

EF64の工作も目処がついてきたし今夜は次回の工作の検証です。
画像の2台並んだエンドウ製のクモハ157、どこが違うかわかりますか?

実は右が ’91年モデルで左が昨秋の花月園で転属してきた ’97年モデル。
数年ごとに再生産を繰り返して既に30年以上の歴史を持つ同車ですが当然のこと
ながら製品化毎に改良を繰り返しており、この一世代違いも例外ではありません。

画像では殆んど同じに見えますが正面だけでもテールライトの表現と
’97年モデルの方には運転室のライト配線を隠すカバーがついてます。


クモハ157後ろ

後ろは貫通扉の色とホロの型、そして機器箱の有無くらいですが・・・・。



クモハ157床下

最も異なるのは床下の構造です。
床下機器は ’91年モデルでは電車の汎用品のプラ一体成型部品を使っていますが
’97年モデルでは、これが鋳造品を並べた専用品になっており機器配置が全く別物で
素材が違うから両車の重量も違うので手に持ってみるだけで解ります。
更に床板の塗装処理やスカートの形状や取り付け穴位置なども違います。


床下スイッチ

そしてこの完成品を工作しなければならない最大の理由がこの床下のスイッチ。
ご想像の通りヘッドライト・テールライトの消灯機能スイッチです。
基本編成となる7両の方にこのスイッチが欲しいのですが付いてるのは
増結ユニットの先頭車なので床下板を交換することで解決しようと。

基本と増結のクモハを

差し替えるだけでいいのでは?


はい、私も一度はそう思いましたがこの2世代の製品最大の問題は
塗装の色調が全く合わないことなんです。
特にクリーム色が黄みがかった ’91年モデルに比べ ’97年モデルでは
やや白っぽい色になっておりMcM'ユニットを1両づつ差し替えると余計に
目立つ結果になってしまいます。

目で色を見て調合する以上、製造年代ごとに或いは担当が変わるごとに
違ってきてしまうのは仕方ないことでこのメーカーに限らずベストセラー製品に
よく見られ、クリーム色というのはその中でも違いが出やすい色なのです。

これは実物の車両でもそうですが色というのは数値化して管理できないので
人間の目に頼らざるを得ず、調合して作る以上は避けられないのです。
実車だと大きくて解らない微差が模型サイズでははっきりと出てしまいます。

この記事を書いている途中に完成目標にしていた大きな運転会が今年は
中止になったと仲間よりメールで連絡が届きました。
ちゅうことで今回記事に上げた157系の車体挿げ替え工作は
もう少し先になるかも知れません。

車体外してスイッチの配線を引き直して床下を入れ替えるだけの工作ですが
走る機会が先になったと思うとモチベの低下も避けられず・・・


そのうちやりますかって感じですね。 ´゚д゚`


それでも春の花月園までには何とか仕上げたいと思います。

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