2010_03
28
(Sun)12:10

旅のおもひで  その3

前回ご紹介した礼文島名物?の桃岩荘YH(ユースホステル)。
実は港のある中心街ではなく山を越えた場所にあります。
港から(旧港)は徒歩でも40分程度ですが船が着くたびに
YHから迎えのトラック!が送迎しています。

おさびし山から

これはYHのとなりにそびえる通称「おさびし山」から建物を見下ろした光景です。
画像下の赤い屋根がニシン番屋を改築した桃岩荘です。
前はすぐに海、後ろは100mを超える断崖絶壁、そして周囲2kmは
YH施設以外は集落も民家も一切無いまさしく陸の孤島です。
この特殊な環境が独特な文化を生む事になったと言っても過言ではありません。

夜の外出はまず不可能!

いくら騒いでも誰にも迷惑がかからない!

施設内にはテレビもラジオも無い!

外界との連絡は電話が1台のみ!


まさしくカルト団体にぴったりの立地です。^^;

出発前の記念撮影

そんな宿の日中の名物は島を徒歩縦断するハイキング。
港のある反対側は車の通れる道路すらほとんどなく歩く以外の観光手段がありません。
早朝5時に起きて島の北端までYHのクルマで送ってもらい30kmの道のりを
歩いてYHに戻ってくる過酷な観光です。

通称 「愛とロマンの8時間コース」 と呼ばれています。

到着した当日は既に出発しているので参加できません。
そして帰ってくる頃には最終便も出てしまってるのでこのハイキングに参加するには
最低2泊3日の滞在が必要になります。(半日の4時間コースもあります)

画像は翌日、私と一緒に参加したメンバーの出発前の記念撮影。
黒シャツに青いデパックを背負っているのが24歳当時の私。
その左隣にいるのがこの日から4年半後に私の妻となる女性である。

もちろんこの時点では彼女は友人と一緒だったので一言も話していない。
しかしこの撮影から5時間後に私は彼女と二人きりになってしまう。
そんな運命が待ち構えているとは知る由もなかった。


※実は島に来る前日に稚内で泊まったYHで彼女を見かけている。
 もちろん当の本人はそのことに気が付いていない。^^
 そこらへんのエピソードは以前「スカーレットのアルバム」の
 掲示板に書かせて頂いてるが次ページに転載します。


 読みたい方は次ページへ。


 

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2010_03
20
(Sat)07:29

旅のおもひで  その2

利礼航路(りれいこうろ)とは稚内 - 利尻島 - 礼文島の3島を結ぶフェリーです。
20年位前までは小樽と結ぶ便もありましたが現在では廃止されています。
なお当時の運営会社「東日本フェリー」は昨年解散し現在は「ハートランドフェリー」
と言うのが正式なようです。

稚内から最初に向かったのがキャッチフレーズが「花の浮島」の礼文島。
朝一番の便は結構混みあうとの情報を得ていたので昼前の便に乗船。
この時乗った第10宗谷丸は先の記事の画像にあった
第11宗谷丸(2000t)
のほぼ同型だが一回り小さい1500t級である。
小さいと言っても夏季の繁盛期には500人以上も乗る船なのだ。

先の画像を第11宗谷丸と紹介しましたが第5宗谷丸の間違いでした。m(_ _ )m
当時の就航船は5隻あり古い順に第1、第5、第2、第10、第11とあり
大きさもそれぞれ違いますが遠目には船体の色で区別できました。
なお第1宗谷丸は小樽便専用で稚内港では見られませんでした。
先の記事の画像は礼文島の旧香深港で正面に見える山は利尻山です。
現在は港の位置が変わりこのアングルでは見えません。

            3月26日訂正



しかし私の乗った船は人気の無い時間(昼食時間を挟む為、ツアー客がいない)
だったので乗船客は40人ほどと少なく一番安い2等船室でしたが
一人当たり6畳くらいスペースがあって快適でした。

約2時間の船旅の後、昼を回ったばかりでしたが私は真っ先に宿に向かいました。
宿に荷物を置いて身軽になってから島内を散策したかったのと2年前に来たくても
来れなかったその特殊な宿を早く見たかったからです。


え?特殊な宿って (^^?


私が説明すると非常に長くなるので、まずは動画で!







テレビで放映されたこの2動画は比較的近年(ここ2~3年)に撮影されたものですが
私が行った当時とやってる事はほとんど変わってません。というか40年前からこのまま。
変わったのはフェリーが新型になり大きくなったので港が新港になった事くらい。(場所も移動)

一部には大変有名な宿ですが放映するには問題の部分もあるのでかなりフィルターが
かかっていますが雰囲気はある程度伝わると思います。
変り種の宿として毎年のように何らかの取材を受けているので
どこかで目にしたことある方もいらっしゃるかも。^^

旅を始めてから日本中で同宿した仲間から噂を聞いていた桃岩荘。
好奇心を抑えきれず行ってしまった為に・・・・・・


以後の人生が大きく変わる事になろうとは!



ある程度覚悟はしてました。^^A



更に続く? (・ω・*)

2010_03
14
(Sun)10:55

旅のおもひで  その1

狩勝峠にて

画像は昭和62年の7月中旬だと思う。
この年の春、5年間のテストライダー生活を辞めて長い旅に出た当時24歳の俺。

この旅の為に用意した125ccの小さなオフロードバイクにテント、シュラフ、飯盒などの
生活用具を始めとする日用品やら着替えやら25kgにも及ぶ荷物を積んで郷里豊橋を出た
のが6月中旬の事で既に放浪を始めて一ヶ月が経過した頃だ。

旅に出て最初の頃はまだ俗世の事が頭の中を渦巻いて、バイクを走らせても考え事ばかり
でとてもじゃないが旅そのものや景色を楽しむ余裕が無かったけれど、ようやく心の整理が
付いて来たのだろうか少しずつシャッターを押すようになった。

場所は富良野にほど近い狩勝峠の頂上付近。
7月とは言え、まだ観光客や他のライダーも少なくてスイスイと登って景色が開けたところで
一服(当時は喫煙者でした)した時のひとコマだ。

狩勝峠といえば有名な鉄道難所で冬の大雪と勾配に蒸気機関車が喘いでいたところである。
もっともこの頃には新線に切り替えられており昔の難所は実験線として使っていたが
それすらも廃止されてどこにも名残は無いようだ。(下界に鉄路は見えませんでした。)
この頃は鉄道趣味はお休みしてたが後年廃線になる鉄路の現役時代を数多く目にしたのは
幸運だったのかも知れない。

実は昭和60年にも9日間だけ北海道を訪れており、その時に目にした美幸線や広尾線や
勇網線や羽幌線などは姿を消していたが長大路線である天北線や名寄線や深名線などは
健在でこの先10年程で無くなるとは思いもよりませんでした。



摩周湖にて

旅を始めて普段とは違う生活スタイルに慣れてくると余裕が出てくるのか
ようやく旅本来の楽しみ方に目覚めて自由を満喫している自分がいます。
この時もバスで来た観光客にお願いしてシャッターを押してもらってます。
一人旅ですから自分から声を掛けねば1日中誰とも話をする機会がありません。
お店での買い物でもガソリンスタンドでも人に会えば誰にでも声を掛けるようになりました。

この100日間の旅で声を掛けたり会話に発展した人は数百名に及びます。(推定ですが)
なかでも時々取る宿に同宿した人や一緒に写真を撮る機会のあった人とは住所交換し
20年以上経った今でも年賀状のみになってしまいましたが現在も交流があります。


さてこの摩周湖の後、北上し宗谷岬を経由して稚内に入り前回日程の都合で
行けなかった離島を目指す事になります。

利礼航路

この船は当時、利礼航路では最新船だった第十一宗谷丸です。
現在では日本の航路を引退し改造されて南方の国で働いているようです。


良く見たら船体が黄色なので当時一番古かった第5宗谷丸の間違いです。m(。._.)m

離島へ行くにはバイクの船賃がとても高いので稚内の宿に預かってもらいました。
「3~4日で戻りますから」と言って。

実は帰ってきたのは2週間後でした。 (^^;)

想像を超える出来事がこの先の島で待っていました。
それに呑み込まれ翻弄され・・・・・






続けていい? (・ω・*)

2009_05
25
(Mon)12:51

夢の記録

月に一度は有給休暇を取らねばならんので
本日は仕事休み!!

例え家族が家にいなくても、遊んでくれる友達がいない日でも
模型工作と言う趣味がある限りヒマで困ることはありません。
そんなわけで今日は何しようかと工作部屋をゴソゴソしていたら
こんなものが出てきました。

パスポートと会員証

左はご存知の日本政府発行の旧パスポートですが右は何だと思います?
まあ、知ってる方は知ってるんですが日本ユース協会の会員証です。
ユース協会って何?って方はウィキペディアででも調べてください。

要するに宿泊施設の会員証で私が23歳から28歳までの旅の記録です。
つまり今から23年前から18年前まで無職の3年間を含むほぼ全ての
日本全国の宿泊記録が残っているのです。

若者の旅の支援を目的とし日本全国に点在するユースホステルでは
独自のスタンプとカードを発行していて宿泊するごとに増えていきます。
メモやノートを取らなくても何月何日にどこそこに居たという記録が残るので
私みたいな無精者にはありがたいことです。

経験が無いとわかりづらいとは思いますが何ヶ月単位での旅をすると
いちいち記録に残す事はしなくなります。
事実、カメラを持っていっても自分を写す事はまずないですから。
長期放浪を始めて最初の頃だけは日記らしき物を書いてましたが
あることに気がついてからパッタリと止めました。

足跡を残す為に来ているのではない。

人生を考える為に俺は街を離れたのだ。


なんて書くとカッコイイですが要は面倒くさいんですね。^^
日記を書くとか記録写真を撮るとかなんて本来の目的からすれば
どうでもいい事だったのです。
いわゆる娯楽の為の旅行では無いので記念の類は殆ど
残さなかったのですが1枚だけ残っているものがありました。

乗船券

小樽行きのフェリー乗船券です。
会社を辞めて旅に出た昭和63年初夏。
雨の中を125ccの小型バイクで一般道をひたすら新潟に向けて
走り北の大地を目指す為、初めて乗った日本海フェリーでした。

楽しそうな家族連れの声を横目に俺はこれからどうなるんだろう?と
考えてた24歳のあの日。

許されるならば


もう一度あの日の俺に会いたい

2006_12
03
(Sun)17:11

お気に入りの1枚

香深港でお客様の案内をするオレ

新しいカテゴリーを本日スタート!

これは今から19年前から17年前の俺が24~26歳だった頃、
当時会社を辞めて3年間バイクで全国を放浪した時の思い出話です。

画像はそんな放浪中の俺が流れ流れてたどり着いた北の果て。
北海道は礼文島にあるYH(ユースホステル)で4ヶ月間ヘルパーを
した時の俺を捕らえた1枚の写真。
偶然、カメラが趣味のホステラーさん(宿泊客)が撮ってくれたもので
何百枚と頂いた写真の中で最もお気に入りの1枚で今も俺の工作机の
近くに置いてます。

この旅でもカメラくらい自分でも持ってましたが何ヶ月という旅に
なると、そんなに写したりしません。増して自分の姿なんて。
この写真の俺は髪は伸び放題だしTシャツはボロボロ。
けれど普段自分では見れない表情が写っているしバックはボヤけた
赤灯台と係留ロープが写っていてここは港だということが語ってます。
そして何より到着した女性の笑顔が物語に花を添えてくれてます。

現在の私しか知らないネットでの友人が見ても私とわからないでしょう。
この頃は体重は50kgあるかないかだしヾ(;´▽`A``
髪もフサフサで白髪なんかないし・・・・

今の私から見ても結構イイ男だと思うのですが・・(笑)
というかこの写真は1988年撮影なんですが
なんか70年代の「俺たちの旅」シリーズに出てきそうな
風貌ですな。

この島での4ヶ月間の生活はその後の私の人生に大きく影響しました。
すこしづつ思い出しながら書いて行こうと思います。