2013_07
06
(Sat)07:18

至高の一品  天の80 その4

クハ86 顔

天賞堂製80系電車紹介も第4弾、クハの集大成と行きます。
上から順に行くとヘッドライトの造形ですが単に丸パイプではなく
横から見ると開閉用のフタ部分と本体の境目の溝が付いてます。
ロストによる一体成型ではなく別部品による2ピース。

そして正面おでこ右の換気口の表現もキチンとされています。
量産品でこれが再現されたのは恐らく初めてでしょう。
ワイパーはエッチングのようですが最初から塗装取付済み。
別部品ユーザー取付だと結構面倒くさい部分なのです。

ちょっとマイナス点として手摺が若干太く感じられる点でしょうか?
オレンジ部分は特に厚く見えてしまうのでもう少し細めたいところ。
完成品としての強度や時代的に見れば付いてるだけでいいのかも。

床下に目をやるとロスト製の空気配管やジャンパ栓が賑やかです。
連結器胴受けもロストで本体はダイカスト(ダミー)そして
スノープロウで足元をきっちりと引き締めています。

ヘッドとテールはもちろん点灯式でヘッドは通常の豆球ですが
テールはこの時代には珍しいLEDが採用されています。
もちろん最近のチップLEDなんてのは当時ありませんから
いかにも電気部品といったゴツイのが付いています。


クハ86サイド

横からは正面と同じ手摺の太さが時代を感じさせるくらいで
あとはこれといった不満もなくソツなくまとめています。
ちなみに運転室の側窓は画像側はHゴムのはめ込みですが
反対側はサッシの開閉式でちゃんとサッシが表現されてます。

この部分、長い間他社では左右同形態で作られており
設計者が気が付かなかったのかコストダウンによる省略なのか
わかりませんが的確に模型化された最初の製品になりました。

その他にもドアや窓のRの取り方にも神経が行き届いてますし
量産品では省略されがちな靴摺りも忘れていないし
屋根とベンチレーターも僅かな色の違いも塗り分けています。

室内も運転室機器、内部の仕切り、座席、室内灯もフル装備。
当時の電車の最高峰モデルに恥じない充実ぶりに驚きます。
重箱の隅をつつくとすればヘッドライトの配線がドアから
見えてしまうくらいでしょうか? ^^;


クハ86側面1

まだまだこの製品には初物がございまして16番車両初の
ドア表示灯が点灯こそしませんが樹脂部品で再現されてます。
最近でもプラ完成品では標準化されてきているもののブラスでは
まず見たことありません。(あるかも知れないが)

ただ残念なのはちょっとスケールより大きすぎて違和感あります。
これは当時プレスで抜ける穴径の限界なのか樹脂部品の成型の
限界なのかわかりませんが正直無くてもよかったかなと・・・

なんとしてもやったる!

という天賞堂設計陣の意気込みの表れとも言えますけどね。

スポンサーサイト
2013_06
29
(Sat)07:17

至高の一品  天の80 その3

天賞堂製80系電車の紹介第3弾です。

クハ86台車

画像はクハ86先頭車の台車です。
この時代、定番である日光製も既に存在しましたが天賞堂は
あえて使わずに完全オリジナルとして新規に型を起こしてます。

それだけに相当凝っていまして側枠は2ピース構造として
ブレーキシュウを別体化することで車輪の踏面に合わせて
更に左右の側枠をプレス部品でつないでいます。
軸受けはプレス部品で内側のシュウは鋳物を貼ってます。

つまり台車1つを構成するのに13の部品と6つのビス
(センターピンと車輪とスノープロウは除いてます。)
を用いており更に車輪はこの時代では珍しい黒染めと
至れりつくせりとは正にこの事です。

特に左右の側枠を実車と同じようにつないでいるのは
現在の高級品でもまず見られませんし達人の作品でも
ここまで台車にこだわった方はほとんどいません。

というのも側枠をつないでしまうと台車の動きが
固定されてしまい線路への追従性が悪くなりますので
あまり例を見ない理由かも知れません。

ちなみに線路状態のあまり良くない花月園のレイアウト
で走行させましたが一度の脱線もなく全く問題ありません。
ちゃんと走行テストを繰り返して製品化してるのでしょう。

残念なのはこれだけ優れた台車なのに部品として
別売されなかったことでしょうか。
これだけ手間のかかった製品ですから恐らく売ったと
しても他社製の2~3倍の値段が付けられたでしょう。


モハ80台車

更に恐ろしいのはモーター車の台車まで左右の連結枠が
ちゃんと取り付けられている事です。
さすがに台車内側のブレーキシュウは側枠と一体化されて
ますがこれはパワトラ方式なので仕方ないでしょう。

他社より絶対優れたものを!という天賞堂の情熱が
台車1つ見ても伝わってくるのがわかりますね。
いやもう情熱飛び越えて・・・

執念ですなこりゃ^^;

まだまだ続きます。

2013_06
17
(Mon)10:47

至高の一品  天の80 その2

80系いろいろ
左から宮沢、つぼみ、つぼみ、KS、天(宮沢も元はKSらしい)

天賞堂製を入手するまでも他メーカーの80系を集めてました。
例えば宮沢製品なんかは天賞堂の1両分で4両揃えれるので
それなりの満足度はありました。  が、

80系と言えば2枚窓の湘南顔!

つまりここが似ていなければ他の部分がどんなに良くても
模型としての魅力は半減してしまうのです。
80系の顔は一見単純ですが良く観察すると平面と曲面が
実に複雑に構成されていてメーカー泣かせなのです。

昭和時代は人気のあった電車なので各メーカーがこぞって
製品化したのですが当時の一発プレスでは造形に限界が
ありました。

じゃあ分割にすればいいかというとそれでは部品点数が
増えるし組み立てる分のコストもあがり採算が取れません。
組み付け誤差によるバラつきも出てしまいます。
編成が前提なので手間をかけすぎては売れる値段では
販売できなくなってしまいます。

だが天賞堂はあえてそれをやったのです。

良い物ならば高くても売れる!という信念があったのでしょう。
量産品としては考えられないレベルで各部に手が入っており
もちろんキモとなる顔には相当神経を使ってるのが解ります。

通常はプレスで成型したあと余分な部分をカットするだけで
キットへの袋詰めや完成品に向けて生産工程に入るわけですが
天賞堂製はプレスの後にかなり修正をしているのが裏から見ると
わかります。

プレス製法はその原理上どうしても甘い部分が出てしまいます。
それを職人さんが1つ1つ写真を見ながら削ったり叩き出したり
して似せていった光景が目に浮かぶようなすばらしい出来栄えに
なっており顔だけでも他社にない高級感を持っているのです。
学生の頃、毎日眺めていた私が見ても納得できます。

現在では当時は天賞堂の半額以下だったエンドウ製品も
20年経って値段は追いついたのですが顔がイケません。
最新の製品ですら似ていないと感じてしまいます。

その1番の要因は前面窓の寸法がやや大きすぎるのです。
数字で言えば天地左右で0.2~0.5位の微細なレベルですが
これが顔の雰囲気を一変させてしまっているのです。

いわゆる主観の違いであって間違いとか正しいとかでは
ないんですが長年にわたって修正する事無く好みに合わないので
せっかく唯一定期的に80系をリリースしていますが
私の手元には1両もエンドウ製80系はございません。



その3に続く






2013_06
16
(Sun)06:29

至高の一品  天の80 その1

今年になってバイクばかりで殆ど工作しておらず
よってこのブログにも鉄模記事が書けませんで開店休業状態。
元は鉄道主体で始まったブログですから訪問される方の中には

バイクはどうでもえーわい!

と思っていらっしゃる方も少なからずいらっしゃると
感じておりますのである程度鉄模記事も定期的にして行きたい。
そこで今回より「りゅーでん的至高の一品」として数ある
コレクションの中から想いの強いものを紹介していきます。


第一回の今回は「天賞堂 80系電車」です。


天のクハ86
※画像左が天賞堂製クハ86ですがデフロスターはノンオリジナルです。


80系と言っても3年前位に発売された飯田線編成ではありません。
あれはエンドウがOEMで製造したもので天賞堂は売っただけ。
今回紹介する "純天賞堂製”とは共通部分はありません。

天賞堂が80系電車を発売したのを知ったのは旅先の本屋でした。
時は1989年、当時まだ私は放浪旅の最中で鉄道趣味は休業中で
時々思い出しては本屋で立ち読みするのがせいぜいだったのです。

80系電車と言えばこのブログでも時々書いていますが私にとって
幼少時代から高校卒業まで最も利用した電車であり思い入れの
深い電車の筆頭であります。

ですから当然欲しくなったのですが驚いたのはその値段。
旅の身なので買えるわけないのですが仮に働いていても無理かなと。
ちなみに先頭車クハ86の1両の値段が49,800円!

今でこそ1両5万円を超える電車は少なくないのですが80年代
当時では最高価格で他社の倍以上であり最低でも4両必要ですから
約20万円と一か月分の給料に相当するとんでもないものでした。

判りやすく比較をすればその前年に発売されたカツミの機関車
EF60が38,000円なのにモーターも付いておらず1両では
何の役にもならない先頭車がそれよりも高価なのです。

あまりの高嶺の花に指を咥えているしか術がなかったですね。
間もなく社会人に戻ったのですがすぐに結婚の為の準備期間に
入りとてもじゃないけど鉄道模型どころじゃなかったのです。


若き頃、憧れた天賞堂80系電車が今は手元にあります。
初めて知った時から私が手にするまで20年の時間が掛かりました。
当然市場には無くて中古品ですがほぼ新品状態のままです。

入手するまでに何度かオークションにも出品されてましたが
定価以上になることが多く何度も見送って来ました。
懐と出品されるタイミングが合わないこともしょっちゅうで。

叶わないから夢と言うのか?

と、あきらめかけた数年前に縁が繋がって入手する事が出来ました。
ご好意で相場の半額くらいで譲って頂いたのですがそれでも
私の半年分の小遣いに相当し資金繰りは大変でしたが。

その夜は眠れなかったのを憶えています。

当時どれくらい数が販売されたか知りませんが値段から言って
恐らく編成で所有している人が全国で100人いないでしょう。
当時の生産能力から総数でも恐らく500両前後と思われ
そんな希少な存在の模型が我が手元に周って来るなんて
自分の運が良かったのでしょうね。^^

次回からはこの製品を細部まで検証してみたいと思います。



※この記事には管理人の推定も含まれており
 事実と異なる部分があるかも知れません。





2007_03
26
(Mon)11:20

個性

クモハ53007とクハ68400

2005年の7月のある日の夜。
いつものようにヤフーオークションを見ていた。
ちょうどボーナスが入ったばかりで、久しぶりに
大きな買い物が出来るぞと意気込んでいた。

以前にも書いたが私のお小遣いは結婚以来15年、
一度も値上がりすることなく月3万円の千円亭主であるが
年二回のボーナス時期のみ少しばかり多めに頂ける。
つまりこの時じゃないと万単位の買い物なんて出来ないのだ。

で、発見したのが画像の飯田線でお馴染みのこの2両。
説明によると谷川とピノチオのキットを組んだものらしい。
良く見るとかなりディテールアップされている。

旧型国電の中でもダントツの人気がある飯田線物なので
きっと高値になって俺には手が届かないだろうな~と思いながらも
画像を眺めているうちにあることに気がついた。

この車両どこかで見たことがあるぞ!

その時点では確証なんて無い。
人気の車両なので多くの人が作ってるだろうし
第一に昔に比べてユーザーが減っているからと言って一個人を
特定するなんて事が出来るわけがない。
しかし遠い記憶の中に確かに面影があるのである。

ここまで記憶が鮮明だと言うことの理由は只ひとつだ。
雑誌では無くこの模型の実物をこの目で見ていると言うこと。

さっそく過去の花月園参加者リストから探してみることにする。
これまでに40名以上の方々に参加して頂いてるが飯田線の旧国を
ブラスキットからここまで作りこむ人と言うキーワードを
あてがってみると以外に対象者が少なくすぐに割り出せた。

それがこの板で七神の一人で関東の魔王と呼んでいるこの方である。

      Saka-jの旧型国電製作
  http://m-sakata-web.hp.infoseek.co.jp/kyukoku/


さっそく本人に問い合わせてみるとその通りだとの事。
確かに2001年の春の花月園の時に持ってきているのだ。
自分の手で取ってこの目で見ていたのだ。
それも4年も前に・・・

普段オークションではキット組に手を出さないことにしている。
写真では状態がわかりにくいし形がある程度保障されている
メーカー完成品に比べれば知らない作者の作品は不安だ。
しかし今回は作者は知っているし何よりもその出来栄えを
自分の目で確認しているので安心して競売に参加し手強いライバル
を抑えてゲットしたのだ。!!
熱くなり過ぎてちょっと予算をオーバーしましたが。(;^。^A
無事に当コレクションの仲間入りを果たしました。

余談ですがこの車両、製作記こそ発表されていませんが
2000年頃のTMSに写真入りで紹介されてます。
おヒマな方は探して見て下さい。

2007_01
21
(Sun)18:38

ひさしぶりです。

飯田線シリーズその1

随分久しぶりの更新となりました。
実はログインのパスワードをど忘れしてしまいまして管理メニューに入れなかったのです。
トシは取りたくないですね・・

ようやく思いだして戻れたものの、この2週間ばかり忙しくて
工作もほとんど進んでいないので、こんな時のお助け企画である
飯田線コレクションシリーズ第5弾をお届けします。

画像は1995年に発売されたエンドウのその名も「飯田線シリーズ」
2両セットで形式違いのA~Cセットの3種類と荷電の単品2種類が
発売されました。(画像はCセットでクモハユニ64とクハ68)
戦後型の72系や80系は各社から完成品が発売されてますが
戦前型の完成品は半世紀に及ぶ16番スケールでもかなり珍しい。
しかもウルサ形のマニアの多い飯田線の車両が大手の量産メーカーから
発売されたことは当時ちょっと話題になったものだ。

そこんところはエンドウも判っていてこの製品の為に通常の量産品
よりかなり手間をかけているのがわかる。
2段窓、2段雨どいの表現を初め台車は新規で起こしているし
ヘッドライトはロストの鋳造品をわざわざくり抜いて点灯するように
している。だがその手間が価格に反映されて・・・

2両で12万オーバー!(;゚д゚)

と当時としては凶悪な価格を付けて来た。
で、発売してみたらこれが売れないのだ。
私程度のモデラーにはわからないがウルサイ人に言わせると
「似ていない」からだと言う。
少なくても沿線に住んでいて世代的にも実車を見ている私が
気にならないほどのことでも彼らには気になるらしい。
まあ、確かに最高の値段で出すなら最高の模型でないとと言うのも
わからないでもない。

量産メーカーとしてはかなりがんばったが残念ながらユーザーの
求めるところに及ばなかったってところだろう。
この手の車両は当時でも特製品でオーダーメイドすれば
30万でも50万でもしたもので、さすがにそこまでは手の出ない
ユーザーを対象にしたのだろうが、そこまでお金を出すなら
他に欲しいものにも手が届くので順序が後回しになってしまった。
この後に最高峰でもあるクモハ52も予定されてたが
あまりにも売れないのでオクラ入りとなってしまったのだった。

私が所有するのは後年になって中古品として市場に出たもの。
元が元だけに安くは無いが定価の6割程で入手した。
さすがに発売当時の定価では好きな電車でも手も足もでない。
その後10年間に同社から発売された車両でも1両6万超えなんて
ほとんど無い。

メーカーでも気負いすぎると失敗するという好例。
2006_09
02
(Sat)11:58

結構レアかもしれん・・・

ヤフオクで高かったんだよな・・

帰省やら海遊びやらで8月は忙しくて更新できなかったのに
カウンタだけは回り続けてあと少しで1万アクセスです。

こんな駄文を見に来てくださる皆様に感謝!
ちゅうことですんごい久しぶりの「飯田線コレクション」
コーナーにクモニ83100を追加しました。

実はこの製品は昭和60年に発売された宮沢製。
そう、先に紹介した流電4両セットと同じメーカーです。
10年以上後に発売されたエンドウ製と比べても走行性能は
仕方ないとしても車体のディテールなどは全く引けを取りません。
ロストパーツなど使っていないのによく印象を捉えています。

入手先はヤフオク。
最初出品されて2週間も買い手が付かなかったので
これはイケル! と思って入札したらぐんぐん高騰・・・
最終的には開始価格の3倍近くなってしまいました。
あと1万数千円足せばエンドウが買える位です。
今思えば吊り上げだったのか?

それでも当時はどうしても欲しかったのです。
入手後に走らせたらパワトラの調子が良くないのでトレーラー化。
後に中古で入手したエンドウのクモニ13と連結して
往年の名物編成を楽しんでます。

これにクハユニ56先頭の3連つけて5両中2両半が荷物車という
あの頃もっとも印象的だった編成目指してますが
飯田モノは高値が付くのでなかなか落札できません。
2006_01
28
(Sat)15:25

初めてのブラス電車

宮沢製流電

実は前回のEF10の後、飯田線車両の入線はしばらくありませんでした。
そもそも戦前型の完成品など模型ではほとんど無いのです。
旧型といえば戦後型の63、70、73、80型はありましたが
戦前型となると特製完成品くらいしか無くてそれらは
当時のボーナス全額使っても2両買えるか? ちゅうくらい高い。

ちょうど名古屋にも足を伸ばし始め通い始めたお店がありました。
そこの店長はとても面白い人で素直。店全体の雰囲気も気に入って
すぐに好きになりました。

ある日たまたま出張で名古屋に行っていた友人から電話。
「いま例の店に寄ってるけどいいのがあるぞ」と情報。
その頃、EH10という機関車も好きな私は20年以上前に
発売された製品の中古を探していました。
それを知っていた友人が気にかけてくれてたのでした。

さっそく口座から貯金を下ろし車に飛び乗って名古屋の店に・・
無事に機関車をゲットして帰り支度をしていると店長が
なにやら箱を持って出てきて私に一言聞いてきました。

「これって幾らくらいの値段つけたら売れると思う?」

どれどれといっぱしの鑑定団ぶって中身を見て
しばし固まりました。
それが写真の「宮沢製流電4両セット」だったのです。

飯田線の旧型引退の後のブームで発売されたもので
スカ色流電の完成品は現在に到るまでこれだけ! という
私にとっては喉から手が出る逸品なのです。

「店長!来週まで絶対取って置いて俺が買うから」

って言うのが精一杯。
それにしてもたった今4万円の買い物したのに
来週にまたお金が用意できるのか??

はい、用意しました。
人間死ぬ気になれば何でも出来るのだとこの時悟りました。
そんな私の必死の形相に心優しい店長は箱に貼ってあった
当時の値段のままで譲ってくれたのです。

帰り道・・
箱を抱えて泣きました。
2006_01
28
(Sat)14:39

きっかけの1台



今から10年くらい前ですがプラモデル好きの友人に
付き合って浜松市にある模型店に行きました。
そこがこの後に長い付き合いになるアールクラフト(通称ウナギ屋)
です。

入店するとすぐに私の目に飛び込んできたものが画像の機関車。
1974~8年頃の天賞堂製のEF10です。
忘れもしないこの機関車、そう中学生の頃に機関区の中でデッキにも
乗ったことのあるあの機関車です。
デッキ付きの旧型機関車と言えばこれしか地元では見られなかったのです。

実車が去って既にこの時でも15年位経ってましたから懐かしさと
嬉しさでしばらく放心状態で眺めたのを今でも憶えています。
この時の感動って言ったら

全米が泣いた

ていう映画見たようなもんですかね。(^^

我に返って店主に聞くと「これは委託販売で58000円」
とのことでした。高い! 私の小遣いの月額は30000円である。
3人目の子供が生まれ、上の双子の息子が入園と経済的に苦しい時期
でしたけど無理して買いました。
いったん40km離れた家まで戻ってお金を持ってきて・・

これがこの後に続く飯田線コレクション第1号になりました。
2006_01
28
(Sat)14:06

私と飯田線

豊橋に生まれ育った私にとって飯田線は身近な存在です。
ある程度行動範囲が自由になった中学生の頃がちょうど
豊橋区の戦前型の晩年で卒業が近づいた頃にクモハ52を
含む多くの戦前型が引退していきました。

この引退までの2年間というもの毎週末に駅に行き
ホームに停車中の電車を観察したり近くの駅まで
乗車したり、当時はいつでも事務所で名前を書くだけで
機関区(現運輸区)の中を自由に見たりと今思えば
夢のような時間を過ごしました。

そして高校に到っては飯田線で通学となり毎週どころか
毎日飯田線に乗れるようになって私の飯田線好きに
拍車をかけました。

通学の頃には80系電車が主力になってましたが戦前型も
半数近く残っており楽しむことが出来たものです。
そして高校を卒業し成人を迎える頃には80系も戦前型も
永遠に去って行きました。

模型は当時Nゲージを楽しんでいたのですが飯田線の
模型など16番でも珍しい時代で製品など皆無でした。
その後、数年経ってグリーンマックスから飯田線の
ブームに便乗するようにキットが発売されましたが
その頃にはやや情熱が冷めていました。

それから10数年経ってある事をきっかけに
飯田線を集めようと燃え上がったのでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。